日々の話

切迫早産気味で自宅安静中・夜職長めで社不な私の暇つぶし記録

私と昼職と風俗③

 

しばらく風俗を続けようと決心した後、昼職もちょこちょこ掛け持ちして働いていました。

昼職は当然長くは続かず辞めたり始めたりを繰り返すのですが、だんだんメンタルの保ち方や嫌な人のスルーの仕方を覚えてきて徐々に続くようになってきました!

これだけ離職を繰り返したらさすがに分かってきました...ある意味自分はこれで良かった。笑

この時期は昼職での人間関係の訓練期間だったのだと思います。そう思いたいです。笑

 

数年後、働くことへ自信がついてきたのとそろそろ年齢的にも私のスペック的に風俗は厳しくなるだろうし、昼職にシフトしていきたい...と思い風俗エステを退店。

ですが一人暮らしで事務のアルバイトだけでは生活できないため、掛け持ちでメンエスを始めました。

(メンエスならいいのかよ、というツッコミは駄目です笑)

 

入店してびっくり、そのメンエスはオーナーが超適当な上にパワハラモラハラ気質で客層も風俗より悪質。抜き要求など風俗的サービスを期待する人がほとんどだったので断る事へのストレスから風俗エステ時代の何百倍も病みました。

いや風俗エステの時ってあまり病まなかったな!?

スタッフさんにも在籍の女の子にもお客さんにも超恵まれてたんだなと改めて思いました(風俗エステを辞めた後たまに会う女の子も「メンエスはマジでやばい」と言っていた)

出勤のたびに嫌なことだらけでしたがメンエスでも変わらずリピーターさんは付いたので、自慢ではないですが本当にこういう仕事が向いてるなと思います...笑

いつか風エス・メンエスなど経験してきたお店の小話や思い出も書きたい。

 

ちなみに私がメンエスを始めた頃は最近ほど店も多くなかったしHPの雰囲気や施術内容もセクシー路線控えめな店が多かったです。

最近は店が乱立しているせいで健全では生き残れないのか、通常サービスから過激な店がほとんどだそうですね。

 

メンエスで洗礼を受け疲れ果てたおかげか、スッパリと夜の仕事を辞めることが出来ました。笑

お金は無いけど今のメンタルならもう卒業して大丈夫かもと思えた事も、夜職卒業を決心した理由の1つです。

その後はカツカツでしたが昼職1本で契約社員として働き、旦那と出会い、あれよという間に結婚。(ちなみに旦那は私が夜職をしていたことを知っています)

 

妊娠をきっかけに退職してしまいましたが、前職の在籍期間は人生で最長記録でした。普通の人からすると短いと思うしむしろ反省した方がいいくらいの期間ですが^^;

 

昼職1本の期間、風俗に戻りたいなと思ってしまうことは正直何百回もありました。

一番思い入れのある業界ですしね...。一般の人からしたら変な話ですが私は風俗の仕事に経済・メンタル面共に救われたので感謝しかありません。

 

 

そして今勉強している分野は、前職の延長的な内容で楽しいのですがこんな自分に出来るだろうか、完全未経験というわけではないけれど30代から...しかも経歴が汚れ切ってメンタルも弱い自分を必要としてくれる企業は無いだろうとか、勉強中の浮き沈みが激しいです。

それでも少しでもチャンスがあるなら頑張りたいし、出産までの期間実家でゴロゴロ生活を送るより絶対良い!

今まで何かを成し遂げたり頑張るということが出来なかったので、やっと少しずつ心が安定してきて人生に向き合えている今がタイミング。

 

また弱音を吐く日も来ると思いますが、今はただただ頑張って勉強に集中したいと思います!

 

 

子宮頚管が伸びた&胎盤の位置が上がってた!

数日前から膣の辺りに圧迫感と重み?を感じていたのと、

寝る前にすぐ治まるけど生理前のような鈍痛があったので診てもらいに行きました。

そうしたらまさかの子宮頚管伸びている・胎盤の位置も上がっていました!!

2週間でこの変化・・・!

とはいえ油断は出来ないし短くなりやすい体質?なので自宅安静は継続ですが、ホッとして先生の前で泣きそうでした(´;ω;`)

即入院を覚悟して行ったので、まさかの結果にびっくり。

毎日赤ちゃんに「生産期までお腹でゆっくりしててね~、ついでに胎盤も上げてくれると嬉しいな~」と語りかけていたので、もしかしたらお願い聞いてくれたのかな?なんて思いました;

あとは本当に、家族の協力のおかげです。

家事も手伝えず毎日申し訳ないと思いながら過ごしていたので、これからはお皿洗ったり洗濯物手伝ったり出来る範囲で家事がしたいです^^

 

どんなに安静にして薬を飲み続けても子宮頚管がどんどん縮んでしまう人もたくさんいるので、こればかりは本当に体質なんだろうな・・・

何か月も病院のベッドから動けない生活やお風呂も数日に1回の生活は想像するだけでも大変。

入院代も高いし…

心細いし不安でいっぱいになりますよね。

トラブルなく出産まで辿り着くって奇跡なんだなと思います。

 

これからも何があるか分からないので、気を引き締めて生活します!

 

 

カロリーと栄養考えながら食事をしているのに体重が増え続ける・・・

出産までの3か月あと6キロしか増やせないのですが絶対オーバーしそう;;

頑張ろう!!!

 

 

 

20代辛かったけど、あの頃に戻ってみたい気もする

ふとそんな事を考えました。

自宅安静の日々で変なことばかり考えちゃうな。

 

20代は本当に本当につらくて鬱で何度も寝込んだし泣いてばかりだったけど、

今のメンタルのまま戻って楽しんでみたい!

そう思えるくらいには成長出来たってことだよね。

あの頃は絶対結婚しないと思ったし子供なんてありえないことだったけど、本当に人生分からない。

私より親や友達の方が驚いています笑

 

ずっと死にたかったはずの人が子供を産むってきっと色々な意見があると思うけど、

この子を絶対に幸せにしたいです。

毎日感じる胎動が愛しくて愛しくて涙が出ます。

生産期まできちんとお腹の中で育てるぞ!

切迫早産を乗り越えてみせます。

胎盤の位置も上がりますように!

 

 

 

Xで若い人たちが苦しんでいるポストを見ると、心がギュッと痛くなります。

若い人たちだけじゃなく、どの年代の人達も苦しまずに暮らしていけたらいいのに

 

 

私と昼職と風俗②

 

セクキャバを始めて、生まれて初めての強い高揚感と自己肯定感が湧き上がる感覚に、自分にはこの仕事しかない!とますます思うように。

 

その後数ヶ月で退店、次は風俗エステへ。

この時の年齢、確か23歳くらいかな。

風俗で数ある職種の中で何故エステ店を選んだかというと、ガッツリ粘膜接触のあるピンサロやヘルスやソープは体力と免疫力の無い自分はすぐに性病にかかってしまいそうな気がして怖かったし元々リラクゼーションなど人を癒す仕事に興味があって、求人に記載されていた「未経験でも専属講師の講習があるので安心!」という言葉に惹かれたから。(実際は講習なんて無いお店は山ほどあるので、そのお店はきちんと手厚い講習があったので本当に良かった。笑)

このお店は女の子同士の仲が良くて、こんな私にもたくさんお話ししてくれました。

関わるうちに、やはり風俗で働く女の子達は自分と性質がかなり近くて、自分の仲間はここにいたんだ。通りで今まで昼職では出会わなかったはずだ、と思った。

 

そして、この店で出会ったある女の子との出会いがちょっとした転機となります。

 

風俗エステの仕事に毎日楽しさとやりがいを感じていたけど心の中では「誰にも言えない、履歴書にも書けない仕事を続けていてもいいのか」「一体何歳まで続けるのか」という気持ちでいっぱいでした。

不安に目を瞑りながら過ごす事でだんだん心がおかしくなりそうになっていた時、

 

楽しいけどこのままでいいのか分からない。

でも昼職は苦しくなって続かないし、どう生きたらいいか分からない。

 

そんなことを待機室でたまに雑談する女の子に打ち明けてみた。

 

「全く同じ状況だから分かる。私も何度も昼職を経験したけど馴染めなくて上手くいかないことが多かった。

幼馴染に良い高校を出て良い大学に入って良い企業で働いている子がいて、その子と話すたびに自分とは全く真逆の人生で自分は何をしてるんだろう?と思うけど、最近は仕事が原因で鬱病になったり自殺しちゃう人もたくさんいるから… 私は私がそうならない道(風俗)を選んだよ。この仕事が合ってるし、私の目標は、とにかく死なないこと」

 

この言葉を聞いてスッと心が軽くなった。

何年も経つけど定期的に思い出すし、きっと一生忘れない。

 

私も、極端だけど今はとにかく死なないことを目標に。

幸いこの仕事が合っていてお給料も貰えてるのだから、世間からどう思われようとしばらく続けよう。

それでいつか、昼職でできる事を見つけたいな。

そう強く思うようになりました。

 

 

③に続きます

 

 

 

私と昼職と風俗①

私が一番続いた仕事は風俗です。

 

昼職はずっと一般事務をしていたのですが、仕事内容というより対人面で毎回躓いてしまう。

小さい頃から繊細で少しのことで傷つき、人の顔色を窺いすぎてしまう

高校生の頃、特にいじめられていた訳ではなかったけどとにかく人と一緒にいることがきつい。ずっと同じ環境にいられない。

普通科から通信制学校に編入しようか迷っていました。(周りのサポートによって卒業出来ました)

 

卒業後は短大へ入学したけど、いじめに近いような出来事があり希死念慮が強くなってしまい1年生終了とともに辞めてしまいました。

死ぬ事ばかり考えていてせっかくの若く楽しいはずの時間を希死念慮で潰してしまった。

 

自分は周りと違う、何かがおかしい けどこの感情を言語化出来なくてずっと苦しかったです

当時は今のように発達障害HSPなどメンタルにまつわる情報が少ない時代でしたし、

周りの理解も得られずただただ「仕事が続かない根性なし・変な人」と思われていたと思う。

辞めたいわけじゃなかった、私も周りの人のように普通に働きたかった。

こんな性格じゃなければ。

自分でもいちいち気にしすぎな性格は自覚していましたし、気にしないよう傷つかないよう意識するようにしていましたが思うように改善されませんでした。

 

短大中退後、暫くバイト生活を続け就職して事務職についても、

その時の仕事内容は合っていたと思いますがとにかく社内での人付き合いをつらく感じていました。

考えすぎてしまう、誰かが機嫌悪いと震え上がってしまう、とにかく人が怖い。

 

自分はもう働かない方がいいかもなと思っていた時に街を歩いていたら風俗のキャッチにあって、その時は断りながらも「普通の仕事が出来ない自分にはこういう仕事しかないのかも」という感情が湧いてきて、というか前から薄々気付いていて

その日家に帰ってからずっとキャバクラ・風俗の求人や働いている女の子の裏ブログを読み漁って情報収集。(当時はcroozブログやデコログ辺りが夜関係の女の子のブログが多かったです)

読んでいるとなんとなく夜職の女の子達の性質は自分と似ている気がして

やっと自分の居場所が見つかるかも!なんて、不安より期待の方が大きかったです。

 

それから1か月後くらいかな?

まずはセクキャバに体入し、仕事内容はさておき無理なく自由にシフトを組めることが、

週5フルタイムで働くことが精神的にも体力的にもつらかった自分には何より幸せでした。

また、意外にも人気が出てしまい初めて自分の居場所を見つけられたこと・頑張った分だけ収入が得られることで自己肯定感爆爆爆上がり。

こんな高揚感は人生で初めてでした。

 

②へ続きます